アオテアロア 職人技へのこだわり

先住民マオリ族の言葉で「長く白い雲のたなびく国」と意味するアオテアロア、ニュージーランドは、職人技と品質に彩られた歴史があります。

この遠く離れた島に住む人々、先住民のマオリ族からヨーロッパからの入植者に至るまで、耐久性と機能性を兼ね備えながらも文化的なデザインと個性を備えた製品を作るために、入手が困難な素材を使用してきました。

この精神は何世代にもわたって受け継がれ、現在ではこの小さな島国が、品質、デザイン、サスティナブルな生産において世界的に認知されています。

 

職人達にとってBONZの製品を作成することは単なる仕事ではありません。それは彼らの情熱であり、アイデンティティであり、生きる目的なのです。革、ニット、織物などの技術は、何世代にもわたって受け継がれてきた伝統であり、遺産でもあります。BONZは、彼らのユニークな技術を伝える役割を担っており、彼らの情熱を世界の舞台で紹介できることを大変誇りに思っています。

 

品質へのこだわりと、環境保全や地球環境へ配慮することへのこだわりは、BONZの基盤となっています。壮観なニュージーランドのクイーンズタウンにある家族経営の本社から、定期的にニュージーランド全土の毛織物工場や農家、狩猟家を訪れ、製品を形成する原糸、毛皮、皮革を手作業で選んでいます。納入業者は、ニュージーランドのさまざまな倫理的規制機関から認定を受ける必要がありますが、私たちは同時に独自の検査も行っています。

 

私たちは定期的にニュージーランド全土の毛織物工場や農家、狩猟家を訪れ、製品を形成する原毛、毛皮、皮革を手作業で厳選しています。

 

私たちは、地元の農家から供給される素材に合わせて製品をデザインしています。例えば、春の嵐による自然死した子羊の毛皮であるスリンクラムスキンは、その年が温暖な春であった場合、生産量は非常に少ないかあったとしてもごくわずかで、豊富な資源と呼ぶには程遠いのです 。

ただ、スリンクラムスキンの生産量が少ない年は自然死する子羊が少ないことを意味しているので、夏の終わりに市場に出回るメリノウールの量が多くなり、翌年のコレクションはニットウェアや織物が多くなるのが普通です。

 

私たちの生産チームは、職人が完璧な仕事をし無駄を省くことができるような最先端の設備を求めて、世界の隅々にまで足を運んでいます。ドイツのウォーキングフットミシン、日本のホールガーメントニットマシン、アメリカのボタンホールマシンなど、私たちの工場は世界の生産技術のるつぼと化しているのです。逆に、私たちのスタッフが生まれるずっと前に作られた設備もまだ現役です。高級な品質と長い寿命をもたらす多くの工芸技術は、世界的な収益のみの追求、ファストファッションの中で忘れ去られてしまったのです。機械加工チームの中には、1940年代に設計・製造されたミシンを好んで使用する職人もおり、その縫い目の品質は他の追随を許さないと信じています。

 

 

From German walking foot sewing machines to Japanese whole garment knitting machines and American button hole machines, our factory is a melting pot of modern global production technology at the bottom of the world.

 

Our factory building even represents of piece of New Zealand’s fashion history. From the 1880’s through to1948 there was a business operating from our building under the name Empire Freight Forwarding. The building at the time was broken up into a number of small rooms, where traders from all corners the globe would rent space short term and sell their raw materials to New Zealand craftspeople; wool from Scotland, silk from China, mink from Scandinavia, Beaver from the USA, and cotton from India would have been amongst the goods traded. Invercargill was then New Zealand’s largest commercial port, and housed some of the first locations for now household recognised New Zealand companies, including Bank of New Zealand and Briscoes. Now long away from the factory due to considerable earthworks, the port was then only meters from the building entrance, making for efficient unloading from the large sail driven cargo boats.